飛蝗の農場|ジェレミー・ドロンフィールドを読んだ。
久々に長編小説を読んだ。
どうして買ったのかは覚えていない。この小説は2000年代前半のどこかの年でのタイトルをいくつか取っていて、おそらくその文言を何処かで見かけたのだろう。
タイトルのシンプルさにも惹かれていたが、読み始めるまで飛蝗がバッタと読むことを知らなかった。おそらく原題の直訳。
強い雨の中をなにかから逃げるように走る。という描写から始まる。
この本を読んでいる間の感覚はそれと近い。足元がぬかるみ、体温が下がり、なかなか前に進めない。描写が細かいことや、章をまたぐごとにでてくる新たな登場人物、読み違えたくないという気持ちと、早く読み進めたいという気持ちが葛藤する。
それでも読んでいくうちに、また主人公らも同様に、快適な時間が訪れる。
なんの引掛かりもなくするすると読める。ああ、これは掴んだな。と、主要な人物は出きっている。あとは謎が解かれるのみだ。と。
しかし、突如また、あのぬかるみに突き落とされる。こいつは誰で、今何の話をしてるんだ?
もちろん最後にはすべてわかる。。。わけではない。 意味があるのかないのかわかんない描写、一度読んだだけでは、はたまた何度読もうが分かることはないのかもしれない。
この読中のしんどさ、あるいは快適さは登場人物らの心情とリンクさせている。
のかもしれない。
映像化は色んな意味で難しそうだが、難しく理解を放棄した細かな描写に正解の絵が欲しくなる。実際にそこにいて見たものを書いているのかと錯覚するほど繊細な描写。
バッタが飼育されている部屋も怖いもの見たさがある。これもリアルなのだろうか?
この飛蝗、バッタの中でも飛ぶバッタのことを指し英語ではLocust
飛行できないバッタはgrasshopperで区別される
Locustにはある相変異するという特徴があり、ある程度の集団になると、性質や姿形までもまるで別種化のように変異する。
同じ種でも環境によって大きく性質がちがう。ってのがメタファーなんや。
多分ね。